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2007年6月 7日 (木)

いちごの時間(とき)

Iじいちゃんはとてもわがままなおじいちゃんでした。

診療所は山深い所にあり、毎朝マイクロバスで患者さんをご自宅まで向かい          
に行き、診療が終わると再びお送りしています。
ある日突然、「今S市のS総合病院の玄関にいるからすぐに向かえに来て           
欲しい」と電話が来ました。悪びれた様子もさらさら無く、診療が終わると            
「T市の整骨院まで送って欲しい」とのたまわれます。
毎日のように診療所に来ては、周囲のお年寄りに、若いときの自慢話や            
色んな説教を繰り返し、少し鼻つまみ者状態でした。
それでも80才はとうに過ぎているとは思えないバイタリティに満ちており、
いわゆる元気な、ちょっと呆けたおじいちゃんで、憎めない所もちゃっかり           
と備えていました。時にはあまりのわがままさから、家族とうまくいかず、           
「整体マッサージにかかるから」と言ってホテルに泊まり込む日々もあり            
ました。周りの人には家に帰れない状態とも言えず、「ちょっとホテルで            
静養しているのである」と待合室で自慢げに話しているのが聞こえました。

Iじいちゃんは診療所の為には一生懸命でした。ある日曜日、診療所の            
前庭で一生懸命に大きなそてつを植えているあやしげな人影が有りました。         
近づくと、Iじいちゃんが一生懸命に土を掘り返していました。                   
「診療所の庭にそてつを持って来てやったよ、心配だから自分で植えるんだ」と         
振り向きもせずに植えています。
後日、自宅の庭から勝手に抜いてきたものと判り、ご家族にお詫びの              
連絡をとるはめになりましたが。

ある日、Iじいちゃんは診療所の待合室で意識が無くなりました。                
周りのお年寄りは、
「また、いつもの発作のまねだよ」等と言ってますが、さすがに点滴をして、
救急車にて病院に入院して貰いました。この頃から、Iじいちゃんも入院が           
長びくようになりました。

自宅に退院してきたIじいちゃんは、手足もほとんど動かない寝たきり状態で、         
鼻からチューブが差し込まれていました。
その日から、私の往診が始まりました。過疎の村にも分け隔て無く暖かい            
日がさすようになった頃、少しずつ様態は悪化していき、お迎えが近くなって          
来ました。

ある日往診すると、ここ2〜3日でお迎えが来る様子で、日中一人で面倒            
見ているはずのおばあちゃんにお話しました。その夜は緊急の電話が             
来るかと心配していましたが、無事に一夜が過ぎました。よく日行くと                
Iじいちゃんの様態は更に悪化していました。おばあちゃんに事情を説明し、            
Iじいちゃんのそばについていて欲しいとお願いして帰ろうとすると、                 
両手いっぱいのいちごをおみやげにと差し出されました。                      
なるほど、往診に来たときにおばあちゃんがいなかったのは、畑にいちごを            
摘みに行っていたのだと判りました。

次の日行くと、またおばあちゃんがいませんでした。往診が終わり、               
帰ろうとすると台所からおばあちゃんが出てきて、小さなボールに                         
いっぱいの洗ったいちごを黙って手渡してくれました。                          
「Iじいちゃんはいよいよ最期だから、一緒にいてあげてね」言い残して帰りました。
また翌日往診に行くと、やはりおばあちゃんはいませんでした。                   
暖かい日で散歩でもしてるのかなと思っていると台所でごそごそと音がします。            
帰り間際に小さなタッパーに詰められた暖かい、作りたてのいちごジャムを            
差し出しながら                                              
「先生、いちごジャム食べるかね」「じいちゃん、もうすぐらかね」と                  
ぼつぼつと小声で聞かれました。
「うん、いちご有り難う」「じいちゃんはもうすぐだ」と答え、暖かくていい匂いの           
するいちごジャムと共に家を出ました。

どうして危篤のIじいちゃんと一緒にいてくれないんだろう。やっぱりあれだけ          
わがままだったから、面倒を見るのが嫌なのかなと勝手に考えていました。
次の日も往診に行きました。さすがに今日明日という状態に陥っており、            
最期は一緒にいてあげてねとおばあちゃんに頼もうと家の中をさがしたら、           
うす暗い台所の椅子にぽつんと寂しそうに座っていました。
とても甘い暖かい香りのする台所でした。
「ほんのもうちょっとでお迎えが来るからね」と言い伝え帰ろうとすると、                      
おばあちゃんは大きなボールにいっぱいの、作りたてのいちごジャムを               
手渡してくれました。
「いちごは全部摘んだ、先生が往診に来るのも今日が最後だと思うから、            
いちごは全部ジャムにしたんだ」。

帰りの道すがら、やっぱりばあちゃんはIじいちゃんの最期まで一緒に                  
いるのが嫌なのかなと勝手に想像していました。 

翌日は死亡診断となりました。自宅の南向きの暖かい自分の部屋で、                  
Iじいちゃんは眠るようにしていました。
その脇でおばあちゃんはじっと涙をこらえて無言でしっかりと付き添っていました。

最初はつめたいおばあちゃんかなと思っていました。自宅でお年寄りが療養し、              
お迎えを向かえて行くことは、大切な事だと誰もが認めるところ。
しかし、実際に身近なご家族は、結局どうしていいのか判らないのが本当の            
姿だと気付きました。

お迎えを待つIじいちゃんに何もしてあげられないおばあちゃん。                  
でも何かしていなければ気が済まないおばあちゃん。                        
精一杯自分のできることで、心はIじいちゃんの事を心配し、十分に面倒を                
見ることができない自分を見つめていたのです。

暖かい、いちごの季節になると、本当はとてもとてもIじいちゃんの事が好きで、
自分なりにおじいちゃんとの最期の日々を、精一杯に過ごしていたおばあちゃんの事を思い出します。

Photo北澤幹男

2007年5月30日 (水)

はなこ と たろう

診察室の窓を開け、爽やかな初夏の風とともに朝の診療を始めました。

 「では、血圧も診ておきましょうね」
 「メエーメエーメエー」
 「血圧の方はいつもと同じで落ち着いてますからね」
 「メエーメエーメエー」
 「また、腰の痛みに対しては点滴をして行きましょうね」
 「メエーメエーメエー」
 「・・・・・・・・・」
 「先生! 先生の声に私が返事しないうちに、やぎ達が返事してますよ」

診療所の脇に小さなやぎ牧場を作って、メスのはなこ(1才半)とオスのたろう(1才)が
引っ越して来てから、既に3ヶ月近くになります。
小学校で飼われていたやぎが少し大きくなってしまったので、引き取って欲しいとの知人の
申し込みに二つ返事でいただいたやぎです。

7年前に、この診療所を開設する時に、4頭のやぎ、1頭の緬羊、10羽の烏骨鶏、
数えきれないチャボ達と一緒にこの地に引っ越して来たのを、知人は覚えていたのです。
残念ながら、鳥類は鷹、たぬきや狐の子育ての為にごちそうとなったらしく、
しばらくして小屋から消えてしまいました。やぎ達も寄生虫に感染してしまい、
数年後には失ってしまいました。
 
今回は、小さいながらも診療所の脇に牧場を作り、来年には子やぎも生まれてもいいような
体制で準備してきました。
朝早く、診療所に行っての私の仕事は、やぎ達を草のある所に連れていき、くいにつないで来る事から
始まります。十分に草を食べ、満腹になったところで10時頃に、診察を中断して、
やぎ達を牧場に戻します。
夕方、4時過ぎに再び診察を中断して、干し草の夕ご飯を与えます。こうしてやぎ達の一日は
ゆっくりゆっくりと流れて行きます。
Photo_2 
やぎ達が来てからは、すぐにケアハウスのお年寄りが朝の散歩の帰りに採ってきた
草を投げ入れてくれるようになり、
日中は老人保健施設、特別養護老人ホームのお年寄りが、ぶらぶらと歩いたり、
車いすに乗ったまま、やぎ見物にくるようになりました。また、夕方には近隣の
お年寄りがお孫さんと一緒に草を持って来てくれるようになりました。
隣の小学校の子供達も、何かにつけてはやぎを見に来るようになった頃、
私は子供達に偉そうに聞きました。
 「やぎさんの目はどんな目だと思う?」
 「えー横長の目だよ」「何処見てるか判らない目」「茶色の目だよ」
 「やぎさんの目はね、哲学者の目なんだよ、判る?」
 「えー判らないよー」と子供達
 「のんびりとしていうように見えるけど、色んな事を考えながら遠くを見ているんだよ」

近年、色んな動物達が絶滅の危機に瀕しており、保護されたり、捕獲禁止になり、更にめずらしい動物は動物園などに行くと見られるようになりました。
しかし、昔は何処にでもいて、家庭の残飯を食べ、草取りをして、おっぱいの出ないお母さんにかわって、一生懸命に乳を生産していたやぎ達は、今ではほとんど見る事が出来なくなりました。
当たり前すぎて、派手さも、貴重さも今では持ち合わせない、やぎ達が少しずつ日本から消えようとしています。
Photo_3Photo_4 北澤幹男

2007年5月29日 (火)

ひとりぼっちのけんじ君

診療所から少し離れた交差点の脇に小さな家がぽつんと建っています。
あまりにも小さくて簡素なこの家には人が住んでいる気配はなく、
うち捨てられた無人の小屋のようです。
その小さな家に50才を幾つか過ぎたけんじ君は、一人暮らしです。
両親が亡くなってからは、近くに住む姉さんが様子を見に来るくらいで、
訪れる人もありません。幼い頃から、風貌も行動も地域の人からは異様に思われていて、
友達もなく、一人ぽつねんと暮らして来ました。
 以前から、変わった風貌ときたない格好だという事で、盗難等の事件があるたびに
けんじ君がいつも疑われて来ました。
数年前に、お金に困ったけんじ君は、本当に盗みを働いて警察に捕まってしまいました。
 そのけんじ君がある日、姉さんに伴われて診療所を受診しました。
確かに、薄汚れた格好と、やや不自由なしゃべり方では、見る人を怖がらせる風体でした。
姉さんは
  「何とか薬でこの人をまともに出来ませんか」
  「できません」
 「また警察に捕まると困るんです」
  「・・・・・・」。

 「けんじ君、草取りしようよ」
 「診療所の前の花壇や周りの草取りをお願いするから」
 「でもお金は払わない、その代わりにお昼をごちそうするから」
そして、何か納得のいかない顔で姉さんとけんじ君は帰って行きました。
 翌朝、診療準備をしていたところ、受付の職員が血相を変えて飛んで来ました。
 「先生、凶器を持った怖い人が待合室にいます。」
 「えーー」
 「周りのお年寄りが怖くて固まっています。」
困ったなと思いながら、待合室をのぞいてみると、何とピカピカに磨かれた
良く切れそうな鎌を抱いてけんじ君が真面目な顔でソファーに座っていました。
周りにいたお年寄りは恐怖感から、しーんと押し黙っていました。

何かあるといけないと思いながら、思い切りの笑顔を浮かべながら
 「けんじ君や、草取りする気になったかい」
 「うん、うれしくてさっそく鎌もちゃんとお金を払って買って来た」
 「でもけんじ君、鎌を丸出しで持って来たら、周りが怖がるよ」
 「うんうん だいじょうぶ」

その日から、けんじ君は雨の日も暑い日も休日以外は毎日診療所に
来るようになり、黙々と草取りをしました。最初は花を抜き、草を残していましたが、
少しずつ刈るべきものが判るようになりました。冬は、一生懸命に雪かきをしてくれます。
約束通り、お昼は給食を用意してあげますが、厨房の職員もけんじ君にだけは、
おかずを多くしたり、おまけをつけたり、ご飯はもちろん大盛りです。
 けんじ君が来るようになり、数年も経つと、草取りや雪かきをしている姿が、
景色にとけ込むようになりました。
 そんなある日、人目を避けるように刑事さんが診療所に来ました。
隣町での窃盗事件の捜査だと伝えられました。最近のけんじ君の働きぶりや休んでいないか等を訪ねて帰りました。警察はけんじ君が犯人だと思っているようでした。心配になり、けんじ君の家に行きました。
 「最近、悪い事してないよね」
 「うんうんしてねえよ」
 「なんかあったらしくて警察が診療所に来た」
 「何にもしてないよね」
 「うんうんしてねえよ」

 その数日後に、刑事さんからけんじ君に会って来たと電話が有りました。
けんじ君の生活はきちんとしていたし、本当の犯人も見つかった。捜査とはいえ、
けんじ君には迷惑をかけたと言われました。
最近は、職員の夏のビール大会や、忘年会に招かれて一緒にお酒を飲むようになりました。
ひとりぼっちのけんじ君ですが、今ではみんなの景色の中で、大事なけんじ君です。

Photo 北澤幹男

2007年2月14日 (水)

しただの散歩落書帳 その9 鳥の哀しみ

鳥の哀しみは空で死ねない事である。
と どこかで詩人が書いていた。

私の哀しみは空を飛べない事だろうか?
私の哀しみは鳥になれない事だろうか?

舞い上がりたい程の、群青色の空を見上げつつ
冬の道をぼとぼと歩いている私がいた。

Sannpo1 見えるものからしか見えないものは語れない。
と 歌っている詩人がいた。

私の哀しみは見えるもの全てであろうか?

私の哀しみは見えないもの全てであろうか?

いつの間にか、夕陽が輝き、私の小さな想いを
みんな飲み込んでいってしまった。
Sannpo2 北澤幹男

2007年1月15日 (月)

しただの散歩落書帳 その8 心の叫び、体の解放

遠くでぼんやりと見えていた景色が次第に、網膜にはっきりと見えて来た。

靴音とともに躍動する体。どこかの本で読んで、脳裏にうっすらと残っていた言葉がはっきりと聞こえてきた。

「心の叫び、体の解放」。そして、私はフラメンコに出会ってしまった。

孫のいる男、55歳で異国のスペイン舞踊にどんどんと魅入られて、はまっていく姿は、周囲からは年寄りの冷や水としか映つりません。

しかし、フラメンコを習い始めてみて、心も体も、全く自分の自由にならない事につくづくと気づかされてしまいました。
 自分のものだと思っていた、「私」の、この「心」この「体」、ちっとも私の言う事を聞いてくれません。

※添付した写真は、リウマチで指がほとんど効かない方が必死に作成してくれた焼物の仏さまです。指が自由に動いたらどんなに素晴らしいかしらと本人はくやしさを
思いながら、手で握り占めるように作った仏さまで、良く見ると指の跡が見えるはずです。

それにつけて、四肢が自由に動く私は何の有難味も感じないで
やれ、手がうまく動かない、足がうまく運ばないと不平を
こぼしてしまう毎日です。

結局は、体も心も仏さまからあずかったものですね。
「私」というもの「心」というもの「体」というもの
全て仏さまからのあずかりものです。

北澤幹男

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2006年10月 6日 (金)

しただの散歩落書帳 その7 ヤギさんの秋

とても暑かった夏がいつの間にか遠のき、少しずつススキがあちこちで存在感を
示すようになり、気がつくと真っ赤な夕焼けに見とれている自分がいます。
谷間(たにあい)のようなここの地形で、西の彼方にお日様が焼け落ちていく様子は、
どこか寂しくもあり、わくわくもさせられます。

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そして、とうとうヤギさんの顔が膨らみ始めました。冬が近づくにつれて、ある日ヤギさんは顔が膨らみ、体の毛も少し立ち加減にかわります。冬への準備が始まったのです。季節に逆らわず、夏には夏の顔、冬には冬顔のヤギさんです。カレンダーを持たないヤギさんは、季節の流れに逆らわず、乗り遅れず、その時節の装いとなります。ヤギさんの秋が到来したようです。
Clip_image002_14

   

ヤギさんの目は哲学者の目、はるか遠くをじっと見つめて、色んな事を黙ってじっと考えています。
横一直線の瞳は、深い思いに満たされています。冬の寒さを耐え、夏の暑さにうだりながらも、黙って遠くをじっと見ています。
ふと気づくと、遠くを見る事も無くなった自分。ただ景色としての周りを、
ぼおーっと見ているだけの自分でした。
北澤幹男

2006年9月22日 (金)

しただの散歩落書帳 その6 お月屋さん

「もしもしかもしか診療所でしょうか?」
夜分に突然の電話
「はいかもしか診療所ですが どうされましたか?」
「いえいえ、昨日お月様をひとつ注文されましたよね」
「はい たしかにお月様をひとつ、それもまあるいまあるい満月をひとつ注文しましたが」
「お客さんのご注文は確かにまあるい満月という事なんですがね〜」
やけに元気のいい声である
「何か不都合でも有りましたか?」
「それがですね、今はもう満月をちと過ぎて、欠け始めていてまあるい満月という訳にはいかないんですよ」
「え〜 欠けた月ですか それじゃあ 困るなあ」
「そうですよね ご注文はまあるい満月ですものね」
段々、声はしおらしくなってきた
「欠けた月ではご不満のようですから、水星と金星を一個ずつ、おまけとしてお付けしますが、如何ですか?」
「え〜水星と金星を付けて貰ってもね〜、だって欠けた月では、ウサギさんが
可哀想だしね〜」
「そうですね 欠けた月にウサギさんは似合わないですよね」
「また、次の満月の前にでも注文を出しましょうか」
「いや〜 そうしていただくととても助かります」
「じゃあ 宜しくお願いしますね」
「はあい まいど」
ふと目が覚めて、夜の庭に出てみると。冷えた空気の中で、素晴らしい満月の空でした。
Fullmoon1_1  北澤幹男

2006年9月12日 (火)

しただの散歩落書帳 その5 赤い秋

しただのあちこちを散歩していると、季節の移り変わりが、色と空気のにおいと風の肌触りで教えられます。

山々は紅葉の錦を着飾る前に、一瞬ですが最後の緑に映え、移ろう季節を送ってくれます。そしていよいよ真っ赤な季節がやってきます。

道ばたにはひっそりと、ほおずきが赤い袋をふくらませ、子供の頃の甘い記憶を呼び起こしてくれます。

Clip_image002_5

  

また、南蛮も自分こそが秋の赤の代表よと言って、誇ら しげに胸を張ります。

                   Clip_image002_8             

たしか、お経の一説に、

青色青光 (青い色から青い光が)
赤色赤光 (赤い色から赤い光が)
白色白光 (白い色から白い光が)                                 黄色黄光 (黄色い色から黄色い光)

いろんな色に囲まれながら、私自身がこの風景の中で、ちっぽけでいいから光っていたいなあと思いました。

北澤幹男

2006年9月 5日 (火)

しただ散歩落書帳 その4 秋の雲に

Photo_49

雲が流れていくのではない

流されているのは私自身なのだ

北澤幹男

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2006年8月30日 (水)

しただふるさと祭り 4 診療所「収穫祭」

Photo_35 毎年かもしか診療所ではしただふるさと祭りと時機を同じくして、「収穫祭」を行います。診療所の前に畑を設け、ご利用者と職員で野菜を育て、それを収穫・調理し、皆さんで味わい、健康増進を図る、というものです。

Photo_36 しかし!今年は大変なことが・・子山羊の太郎が畑の前の野菜をすべて食べつくしてしまったのです(子山羊の太郎については8/1投稿参照下さい)。
そのため今年はご利用者や職員で野菜など持ち寄り、調理して頂きました。

Photo_37 また今回は職員のSさんの超本格的なフラメンコが披露されました。Sさんのフラメンコはそれは本格的なもので、見るものを圧倒するほどのものです。
ところが今回はSさんのフラメンコをさらに圧倒する出来事が起きました。

Photo_38 この後姿は一体誰?え?こ、これは・・・

Photo_41 当法人のトップである北澤理事長ではないですか!この衣装は何なんでしょうか?うっお化粧まで・・・

登場した瞬間、歓声とも悲鳴ともつかないどよめきが上がりました。

Photo_40あ、理事長おそらくどうしてよいのか判らず履いていたわらじを手に持ち踊り始めました!                  

他の方々は本格的なフラメンコ、理事長は・・盆踊りの激しいものでしょうか・・・。

とんでもないサプライズはありましたが,その後は皆様で旬の野菜を楽しみながら和やかにご歓談されていました。トップたるもの、祭りではこのようにはじけなければご利用者を楽しませることはできない、ということを身をもって教えていただいた気が致します(本人がやりたかっただけかもしれませんが・・)。Photo_42
T.K