いちごの時間(とき)
Iじいちゃんはとてもわがままなおじいちゃんでした。
診療所は山深い所にあり、毎朝マイクロバスで患者さんをご自宅まで向かい
に行き、診療が終わると再びお送りしています。
ある日突然、「今S市のS総合病院の玄関にいるからすぐに向かえに来て
欲しい」と電話が来ました。悪びれた様子もさらさら無く、診療が終わると
「T市の整骨院まで送って欲しい」とのたまわれます。
毎日のように診療所に来ては、周囲のお年寄りに、若いときの自慢話や
色んな説教を繰り返し、少し鼻つまみ者状態でした。
それでも80才はとうに過ぎているとは思えないバイタリティに満ちており、
いわゆる元気な、ちょっと呆けたおじいちゃんで、憎めない所もちゃっかり
と備えていました。時にはあまりのわがままさから、家族とうまくいかず、
「整体マッサージにかかるから」と言ってホテルに泊まり込む日々もあり
ました。周りの人には家に帰れない状態とも言えず、「ちょっとホテルで
静養しているのである」と待合室で自慢げに話しているのが聞こえました。
Iじいちゃんは診療所の為には一生懸命でした。ある日曜日、診療所の
前庭で一生懸命に大きなそてつを植えているあやしげな人影が有りました。
近づくと、Iじいちゃんが一生懸命に土を掘り返していました。
「診療所の庭にそてつを持って来てやったよ、心配だから自分で植えるんだ」と
振り向きもせずに植えています。
後日、自宅の庭から勝手に抜いてきたものと判り、ご家族にお詫びの
連絡をとるはめになりましたが。
ある日、Iじいちゃんは診療所の待合室で意識が無くなりました。
周りのお年寄りは、
「また、いつもの発作のまねだよ」等と言ってますが、さすがに点滴をして、
救急車にて病院に入院して貰いました。この頃から、Iじいちゃんも入院が
長びくようになりました。
自宅に退院してきたIじいちゃんは、手足もほとんど動かない寝たきり状態で、
鼻からチューブが差し込まれていました。
その日から、私の往診が始まりました。過疎の村にも分け隔て無く暖かい
日がさすようになった頃、少しずつ様態は悪化していき、お迎えが近くなって
来ました。
ある日往診すると、ここ2〜3日でお迎えが来る様子で、日中一人で面倒
見ているはずのおばあちゃんにお話しました。その夜は緊急の電話が
来るかと心配していましたが、無事に一夜が過ぎました。よく日行くと
Iじいちゃんの様態は更に悪化していました。おばあちゃんに事情を説明し、
Iじいちゃんのそばについていて欲しいとお願いして帰ろうとすると、
両手いっぱいのいちごをおみやげにと差し出されました。
なるほど、往診に来たときにおばあちゃんがいなかったのは、畑にいちごを
摘みに行っていたのだと判りました。
次の日行くと、またおばあちゃんがいませんでした。往診が終わり、
帰ろうとすると台所からおばあちゃんが出てきて、小さなボールに
いっぱいの洗ったいちごを黙って手渡してくれました。
「Iじいちゃんはいよいよ最期だから、一緒にいてあげてね」言い残して帰りました。
また翌日往診に行くと、やはりおばあちゃんはいませんでした。
暖かい日で散歩でもしてるのかなと思っていると台所でごそごそと音がします。
帰り間際に小さなタッパーに詰められた暖かい、作りたてのいちごジャムを
差し出しながら
「先生、いちごジャム食べるかね」「じいちゃん、もうすぐらかね」と
ぼつぼつと小声で聞かれました。
「うん、いちご有り難う」「じいちゃんはもうすぐだ」と答え、暖かくていい匂いの
するいちごジャムと共に家を出ました。
どうして危篤のIじいちゃんと一緒にいてくれないんだろう。やっぱりあれだけ
わがままだったから、面倒を見るのが嫌なのかなと勝手に考えていました。
次の日も往診に行きました。さすがに今日明日という状態に陥っており、
最期は一緒にいてあげてねとおばあちゃんに頼もうと家の中をさがしたら、
うす暗い台所の椅子にぽつんと寂しそうに座っていました。
とても甘い暖かい香りのする台所でした。
「ほんのもうちょっとでお迎えが来るからね」と言い伝え帰ろうとすると、
おばあちゃんは大きなボールにいっぱいの、作りたてのいちごジャムを
手渡してくれました。
「いちごは全部摘んだ、先生が往診に来るのも今日が最後だと思うから、
いちごは全部ジャムにしたんだ」。
帰りの道すがら、やっぱりばあちゃんはIじいちゃんの最期まで一緒に
いるのが嫌なのかなと勝手に想像していました。
翌日は死亡診断となりました。自宅の南向きの暖かい自分の部屋で、
Iじいちゃんは眠るようにしていました。
その脇でおばあちゃんはじっと涙をこらえて無言でしっかりと付き添っていました。
最初はつめたいおばあちゃんかなと思っていました。自宅でお年寄りが療養し、
お迎えを向かえて行くことは、大切な事だと誰もが認めるところ。
しかし、実際に身近なご家族は、結局どうしていいのか判らないのが本当の
姿だと気付きました。
お迎えを待つIじいちゃんに何もしてあげられないおばあちゃん。
でも何かしていなければ気が済まないおばあちゃん。
精一杯自分のできることで、心はIじいちゃんの事を心配し、十分に面倒を
見ることができない自分を見つめていたのです。
暖かい、いちごの季節になると、本当はとてもとてもIじいちゃんの事が好きで、
自分なりにおじいちゃんとの最期の日々を、精一杯に過ごしていたおばあちゃんの事を思い出します。
北澤幹男