70をとうに過ぎた、たつおさんは、山深い小さな集落に、一人暮らしです。心臓が悪いために、入院を勧められていますが、頑なに拒み続けていました。
ある日医者嫌いで有名なたつおさんが、かもしか診療所に来ました。
「ぜいぜいぜい」
「たつおさん、どうしましたか」
「ぜいぜいぜいぜいぜい」
「あー心臓が難儀いんですね」
「ぜいぜいぜい」
これでは死んでしまうと思い、点滴をして、症状を緩和すると顔の色も戻り、話もできるようになりました。
「たつおさん、今日は安静にしてくださいよ」
「今日はお湯に入りにこれから運転していくんだ」
近くにある、いい湯らていに行くつもりだと察した看護師さんが
「たつおさん、温泉なんか入ったら死んでしまうから止めなさいよ」
「死のうが死ぬまいが温泉に入りたいんだよ」
しばらくやり取りして、たつおさんはしょんぼりと帰りました。しばらくしてたつおさんは車の運転もできなくなり、歩くこともつらくなってしまい、ひとりぼっち家で寝込むようになりました。
見かねた息子さんが、町で自宅を建てて、たつおさんの部屋も作り呼び寄せようとしましたが結局は断ってしまいました。何回かの冬を一人で過ごしながらヘルパーさんが作る食事と訪問看護師さんの世話を受けながら過ごしていました。
暑い夏の日に訪問看護の看護師さんから、たつおさんがやせ細ってこのままだと夏を乗り切れないかもしれないと、報告がありました。
症状が重いようなので、息子さんから入院を説得するようにお願いしましたが、本人が拒否してしまいました。仕方がないので、親戚一同が集まり、本人に病院受診を強く勧めましたが、頑として受け入れません。みんなが困っていると、かもしか診療所なら行ってやってもいいと言い始めました。
翌日に車椅子の乗せられてたつおさんはやってきました。以前とは変わり果て、痩せこけて無精髭の顔はつらそうでしたが、相変わらずの空元気です。
「たつおさん、まだ生きていたんですね」
「まだまだ死なないわね」
「餓死しそうなので、点滴しますね」
「う~~む、よかろう」
「ところでせっかくたつおさんをとっ捕まえたので、車を呼ぶけど、白い車と黒い車のどっちがいいかな」
「いやーーー、どっちもいらん。特に黒い車はやだね」
ということで、町の病院に連絡をとり、すぐに救急車を呼びました。救急車に運び込まれるたつおさんは、どこかホッとしたような表情にも見えました。救急車が立ち去るのを、みんなでやれやれといった感じで見送りました。
その日の夕方後片付けをして、帰ろうとしているところに、たつおさんの息子さんが訪ねて来ました。実は病院に救急車で行ったのだけれど、結局本人が絶対に入院しないと激しく抵抗した為に、病院にもあいそをつかされてしまい、戻ってきてしまいましたと・・・・
息子さんの車を覗き込むと、後ろの席にたつおさんが嬉しそうにちょこんと小さく座っていました。
「先生、戻ってきたよ、明日往診に来てくれ、えへへ」とのたまいました。
たつおさんにとって、思い出が詰まっている自分の『家』から離れることは、死ぬことと同じだったのです。自分の病状を知っているから、医者や病院に行くことが出来ないのでいたのでしょう。
どんなに貧乏だろうが、山深い地であろうが、たつおさんには最後まで大事な場所だったのです。地位やお金や物ばかりが大事にされる今という時代、形のない大事が見失われそうです。
北澤幹男