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2008年2月26日 (火)

雪の精(金平糖の夢)

雪は空からの精のお使いたち。

一粒ひとつぶが赤、青、黄、白、金、銀、いろんな色した金平糖

遠くから雲になってはるばると旅を重ねてたどりつく。

「僕が先に地上に降りていくよ」

「私はもうちょっと先まで飛んで行くわ」

「お〜い おいてかないで」

「私はあそこの小山に行ってくるわ」

わいわいがやがやと雪の精は雲の中から降りてきます。

「ほ〜ら うまく降りれたよ」

「私 半分溶けちゃった」

真冬の三日月が笑顔で皆を見ています。

晴れ渡った雪原には金平糖達があちこちと踊り回っています。

やがて朝が近くなり、雪原は降り積もった雪で静かになります。

春になり、山に降りた金平糖も、畑に降りた金平糖もみんなみんな

水になり、野原や小川を駆けて行きます。

そしていつか大海原にたどり着き、再会をはたします。

それぞれがたどってきた道中のお話をわいわいがやがやと

交わしながら、また来る冬を待ちながら、眠りにつきます。

皆がぐっすりと眠りについたとき、グラスの中に小さな手が現れ、

金平糖たちは子供にすくいとられてしまいました。

合掌 北澤 幹男

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2008年2月12日 (火)

パンジーと熊ごろう先生

僕たちの高校の数学の先生、熊ごろう先生。もちろん代々伝わったあだ名です。いつもよれよれの服を着て、ふらふらと廊下をさまように歩いています。シベリアに連れて行かれて頭が狂ったんだとか、息子さんが早くに死んでからぼけたんだと僕たちは噂していました。

 確かに先生は数学の授業を担当していますが、教壇の上ではこっそりと赤本を見ながらの毎日で、黒板に書いてる数式がとうとうわけの判らないものになる事もしばしばあります。

 

そんな時、熊ごろう先生は決まって黒板に耳をあてて

「お〜うい、黒板よ〜 教えておくれ〜」と言い始めます。

 それでも数学が先にすすまないと、更に黒板に向かって

「どうして教えてくれないんだ」などと嘘泣きを始めます。

 僕たちは先生の演技の見事さにいつもだまされてしまい、数学は結局のところ、自分で勉強しなきゃならないんだなあと、変に納得させられてしまいます。

 教務室にいるのが嫌いで、いつも学校の回りの花壇ばかりいじってる熊ごろう先生。見かけも授業も、とても高校の先生とは見えず、よそのおじさんが勝手に学校の花の手入れをしている風にしか見えません。

 ある日、先生はパンジーの花壇に水やりをしていました。一心不乱にパンジーの一花一花に向かっている先生の真剣さが、僕らにはとても滑稽でした。

ついつい先生の背中に向かって僕は

「ボケの熊ごろう!」と声をかけてしまいましたが、先生は聞こえぬ振り。

そのうちに、聞こえていなかったはずの先生が、後ろを向いたまま

「おい 北澤 このパンジーはお前達なんだよ」

「パンジーの花は、人の顔に似てるだろう」

「そして ひとつひとつ みんな違う模様なんだよ」

「俺にとっては なあ〜 この パンジー達はお前達なんだよ」

「みんな ひとりひとり違うだろ」

「俺にとっては なあ〜 この パンジー達はお前達なんだよ」

P060408051_5

北澤 幹男

2007年11月28日 (水)

桃盗人

桃を盗みに、畑に忍び込んでいた。
小学生の私と友達は、ドキドキと破裂しそうな心臓を抱えこんでいた。
体をひそめながら、こそこそと甘い桃を夢見ていた。
塩おにぎりのおやつは子供にとって飽き々で、甘いおやつが欲しかった。
今だ!!! 二人は猛ダッシュで桃の木の下にたどりついた。
鈴なりの桃の実が、ダイヤモンドのように輝いて見えていた。
両手いっぱいに桃を抱えたかった。そして腹一杯に甘い桃を食べたかった。

突然 
「こらあー」
「お前達何してるんだ」
「桃盗むなあ〜」
という大きな声が、耳の後ろから聞こえたかと思った瞬間に、二人は捕まってしまっていた。

「勝手に畑のものを盗むな」
「一生懸命に手をかけて育てているんだ」
「どこの小学校だお前達は!」
散々としかられ、二人は泣きじゃくるばかりだった。あまりに怖かったのと桃が手に入らなかった悔しさとで大泣きをしていた。

「もういい」
「帰れ!二度と来るなよ!」
ほっとしてぼとぼとと帰る私たちの背中に向かって
「おい 待て!」の一声。
二人はもう一度、恐怖のどん底に真っ逆さまに落ちてしまった。

「お前達が盗った桃はまだ青くて食えん」
「この熟した桃を2個ずつ持っていけ」

北澤幹男

Photo

2007年11月14日 (水)

ホテル・カルフォルニアに

サンタナの「哀愁のヨーロッパ」を聴きながら、夕焼けを黙って眺めている。
何も言葉が浮かんで来ない一日の終わりに、エレキギターの音が長く長く
尾を引いている。
 こんな真っ赤な夕焼けを今まで何回見て来たのだろうか? 今まで一体、
何日生きてきたのだろうか。考えようとしても、何も浮かんでは来ない。
哀愁のヨーロッパのエンディングは長く、ずっと尾を引いて終わっていく。
 夕焼けから夕闇にかかる頃に、イーグルスの「ホテル•カリフォルニア」を
フルボリュームでかける。この曲を初めて聴いたのはいつだったのか、
どうしても思い出せない。激しい曲の中で、ずっと昔の自分が、
ふっと思い出として沸き出てくる。
 停学となった高校生の私は、ひとりでぽつねんと自宅にこもっていた。
暮れ行く夕方に、外のざわめきが懐かしく聞こえていた。窓から見ると、
空が真っ赤に焼けて、世界中が紅蓮の炎に包まれているように見えていた。
心がちょっとわくわくしている自分がそこにいた。
 夕焼けを通してあの頃の自分と出会う事が出来るのだろうか、あの頃の
自分はもう、何処にもいないのだろうか?

北澤幹男B2e8c1fc20360

2007年7月 4日 (水)

医者嫌いのたつおさん

70をとうに過ぎた、たつおさんは、山深い小さな集落に、一人暮らしです。心臓が悪いために、入院を勧められていますが、頑なに拒み続けていました。

ある日医者嫌いで有名なたつおさんが、かもしか診療所に来ました。

「ぜいぜいぜい」
「たつおさん、どうしましたか」
「ぜいぜいぜいぜいぜい」
「あー心臓が難儀いんですね」
「ぜいぜいぜい」

これでは死んでしまうと思い、点滴をして、症状を緩和すると顔の色も戻り、話もできるようになりました。

「たつおさん、今日は安静にしてくださいよ」
「今日はお湯に入りにこれから運転していくんだ」
近くにある、いい湯らていに行くつもりだと察した看護師さんが
「たつおさん、温泉なんか入ったら死んでしまうから止めなさいよ」
「死のうが死ぬまいが温泉に入りたいんだよ」

しばらくやり取りして、たつおさんはしょんぼりと帰りました。しばらくしてたつおさんは車の運転もできなくなり、歩くこともつらくなってしまい、ひとりぼっち家で寝込むようになりました。

見かねた息子さんが、町で自宅を建てて、たつおさんの部屋も作り呼び寄せようとしましたが結局は断ってしまいました。何回かの冬を一人で過ごしながらヘルパーさんが作る食事と訪問看護師さんの世話を受けながら過ごしていました。

暑い夏の日に訪問看護の看護師さんから、たつおさんがやせ細ってこのままだと夏を乗り切れないかもしれないと、報告がありました。

症状が重いようなので、息子さんから入院を説得するようにお願いしましたが、本人が拒否してしまいました。仕方がないので、親戚一同が集まり、本人に病院受診を強く勧めましたが、頑として受け入れません。みんなが困っていると、かもしか診療所なら行ってやってもいいと言い始めました。

翌日に車椅子の乗せられてたつおさんはやってきました。以前とは変わり果て、痩せこけて無精髭の顔はつらそうでしたが、相変わらずの空元気です。

「たつおさん、まだ生きていたんですね」
「まだまだ死なないわね」
「餓死しそうなので、点滴しますね」
「う~~む、よかろう」
「ところでせっかくたつおさんをとっ捕まえたので、車を呼ぶけど、白い車と黒い車のどっちがいいかな」
「いやーーー、どっちもいらん。特に黒い車はやだね」

ということで、町の病院に連絡をとり、すぐに救急車を呼びました。救急車に運び込まれるたつおさんは、どこかホッとしたような表情にも見えました。救急車が立ち去るのを、みんなでやれやれといった感じで見送りました。

その日の夕方後片付けをして、帰ろうとしているところに、たつおさんの息子さんが訪ねて来ました。実は病院に救急車で行ったのだけれど、結局本人が絶対に入院しないと激しく抵抗した為に、病院にもあいそをつかされてしまい、戻ってきてしまいましたと・・・・

息子さんの車を覗き込むと、後ろの席にたつおさんが嬉しそうにちょこんと小さく座っていました。

「先生、戻ってきたよ、明日往診に来てくれ、えへへ」とのたまいました。

たつおさんにとって、思い出が詰まっている自分の『家』から離れることは、死ぬことと同じだったのです。自分の病状を知っているから、医者や病院に行くことが出来ないのでいたのでしょう。

どんなに貧乏だろうが、山深い地であろうが、たつおさんには最後まで大事な場所だったのです。地位やお金や物ばかりが大事にされる今という時代、形のない大事が見失われそうです。P1000367                           
北澤幹男

2007年6月15日 (金)

テリさんの畑

※また梅雨の季節がやってくると同時に、3年前の7.13水害が思い出されます。そして中越大震災。理事長北澤幹男からのテキストです。2005年に作られたテキストなので、村内という表記がありますが当時の下田村のことです。(T.K)

テリさんの畑

山間の斜面の、林で囲まれた所に、テリさんの小さな畑があります。畑は自宅のある集落からはかなり離れていますが、八十歳を過ぎたテリさんは、小さな手押車を押しながら、ほとんど毎日のようにやってきます。

本当に小さな畑ですが、自分一人で作れるものは季節ごとにいろんな野菜を作っています。春には一塊のイチゴが花を咲かせ、秋には立派な里芋が掘られます。どれもほんの少しずつしか作りません。テリさんの家の食卓はスーパーで買ってきた食材が中心で、畑のものは食卓に出ず、テリさんが自分で食べ、友達にわける分だけ野菜を作るのです。

その日は朝から湯船をひっくり返したような土砂降りが続いていました。小さな診療所も雨で流されるののではないかという降り方でした。山であふれた水が直接周囲を流れ始め、用水は水を吹き上げました。

昼ごろには、村に通じる橋は全て通行止めとなり、道路も大半が遮断され、とうとう孤立してしまいました。川は堤防を越えるようになり、いたるところで田や畑が川となり、近くの温泉施設は海の中に孤立した状態となりました。そうこうするうちに、ダム決壊の恐れが出て、放水サイレンが不気味になり続け、村内の多くの集落に避難指示が出ました。

夕方を過ぎて、雨は小降りになり、川の水位の上昇も落ち着きましたが、三条市街地では土手が決壊し、大変な惨事となりました。

水害が去り、しばらくしてテリさんの畑に行ってみました。相変わらず、黙々と畑仕事をしていましたが私を見つけると「山からこの畑に、滝のように水が流れたらしく、かなりながれてしもたて」「でももう普通の畑みたいに復活していますね」「自分の畑だからね、一生懸命なおしたて」「根こそぎ流れなくて良かったですね」「洪水よりも人間の方が根こそぎ盗んでいくからおっかねって」

この村では春から秋にかけて、栽培している山菜、庭先の花、キノコ等、よく観光客に盗まれます。田舎とはいえ、私有地なのに、たけのこも根こそぎ盗まれます。たけのこのある場所に、わざわざ「ここの竹の子取るな」と看板を出す人もいました。

「洪水が畑を襲ったけど、町の盗っ人と違って根っこは残してくれたっけね」と明るい笑顔で、また畑仕事に戻りました。

秋の一日が終ろうとする夕方六時直前でした。ゴオーという不気味な大音響とともに天地がひっくり返るような揺れが来ました。最初は何が起きたのか理解ができませんでしたが、すぐに次の大揺れが来て地震だと気付きました。その日は大地震並みの余震が明け方まで続き、恐ろしい夜となりました。

翌日に診療所を見てみると、カルテは散乱し、天井の一部が下降し、所によって落ちてきたガラスが散乱し、壁にヒビが入っていましたが大きな被害は免れました。新潟県中越大震災は村内にっも、あちこちで被害を残しました。

余震も減ってきた頃、テリさんの畑で一生懸命働く姿を見つけました。

「地震でも畑は大丈夫だった見たいですね」「長く生きたろもおっかねかったの、畑は大丈夫らったて」「少しずつ作ってればいいんだてば、少しずつ、自分の分だけ作ってればいいんだてば、少しずつ、自分の分だけらてば」

今年もテリさんは、すこしずつ野菜を作るのでしょう。厳しい季節や気候の中で、小さな畑は、きっと大きな掌の上にあるのでしょう。洪水や地震にもまれながら、私たち自身の右往左往も、掌の上であることを忘れそうです。

Photo北澤幹男

2007年6月 8日 (金)

ラムの憂鬱

ふさばあちゃんはとてもとても小柄なおばあちゃんでした。                    
それに比べておじいちゃんはとても背が高く、ポストと電柱のような夫婦でした。            
村の中で一番奥の小さな集落に二人は住んでいました。
おじいちゃんは大変な医者嫌いで、ボケが進んでもめったに診療所には              
来ようとせず、とうとう田んぼにはまって息絶えている状態で見つかりました。

ふさばあちゃんは半狂乱となり、町の娘さんの家にしばらく預けられて              
しまいました。
往診に行くとふさばあちゃんは寝たきりの状態で、食事もままならぬ様子で             
更に一回り小さくなったようでした。
町に嫁いだ娘さんにあずけられてからは、自宅恋しさがかえってつのり、             
日に日に弱ってしまい、腰まで痛くなり、どうにも辛い療養となっていました。

その頃、診療所に併設して、老人保健施設が開所した為に、面倒の見切れなくなった
ふさばあちゃんは、入所する事となりました。

また我が家には、赤毛のボーダー・コリー犬の子犬のラムちゃんが来ました。         
最初は縫いぐるみのような小さなラムでしたが、やがて朝は一緒に老人保健          
施設の中を散歩するようになりました。
ふさばあちゃんは置いて来た6匹の猫が心配でしたが、ラムが寝ているベッドに        
ちょこっと顔を出すと大変に喜び、枕の下からせんべいを半分くれました。

その日から決まって、ラムはふさばあちゃんの部屋に顔を出すように               
なりました。ふさばあちゃんは毎朝毎朝ラムが来るのを待っていました。            
そのうちに、頭と首がだいぶ動くようになり、
ベッドからラムを見下ろし、「ラムちゃんや、私の家の猫達はどうしているだろうね」、
ラムは「ふにゃふにゃ」、「ご飯をもらっているだろうかね」「ふにゃふにゃ」、
いつの間にかこんな会話も聞かれるようになりました。

こんな状態が何ヶ月も続いたある日、とうとうふさばあちゃんはベッドに            
身を起こせるようになり、
「早くラムを追っかけられるようになればね」「ふにゃふにゃ」「歩けるようになれれば」
「ふにゃふにゃ」等と会話しながら、ベッドの脇からせんべいをくれました。

やがて車椅子でホールにも出られるようになったふさばあちゃんは、                
朝にラムを見つけると、全速力で車椅子で自分の部屋へとせんべいを             
取りに行くようになりました。                                       
とうとうある朝行くと、そこには壁に伝いながらも二本の足で立っている              
ふさばあちゃんがいました。
ラムの顔を見つけるなり、                                                  
「ラムやおまえのおかげで歩けるよ」「ふにゃふにゃ」
「ラムやおまえがいなかったらまだ寝たままだよ」「ふにゃふにゃ」と                     
言いながらせんべいを取りに行きました。

それからしばらく経った頃には、ふさばあちゃんはラムの顔を見つけると、             
走って自分の部屋にせんべいを取りに行けるようになりました。おかげで女の子としてお年頃を              
迎えたラムはすっかりとふくよかになってしまい、ダイエットと運動を命じられる          
事となりました。

その後、ふさばあちゃんは診療所の隣に出来た、特別養護老人ホームに              
入所しました。また、ラムにはポポという名前の赤毛のボーダー・コリーの            
妹が来ました。ラムとポポは、今は毎朝毎朝特別養護老人ホームに
散歩に行きます。ラムを見つけると、ふさばあちゃんは相変わらず                    
「ラムやよう来た」「ふにゃ」と
自分の部屋にせんべいを取り行き、「ラムやこれしか無いよ」「ふにゃ」と               
沢山のお菓子を抱えて戻って来ます。
やっとスリムな女の子になりつつあるラムには、うれしいけれども憂鬱な               
有り難い時間を過ごしています。Photo_2
北澤幹男

2007年6月 7日 (木)

いちごの時間(とき)

Iじいちゃんはとてもわがままなおじいちゃんでした。

診療所は山深い所にあり、毎朝マイクロバスで患者さんをご自宅まで向かい          
に行き、診療が終わると再びお送りしています。
ある日突然、「今S市のS総合病院の玄関にいるからすぐに向かえに来て           
欲しい」と電話が来ました。悪びれた様子もさらさら無く、診療が終わると            
「T市の整骨院まで送って欲しい」とのたまわれます。
毎日のように診療所に来ては、周囲のお年寄りに、若いときの自慢話や            
色んな説教を繰り返し、少し鼻つまみ者状態でした。
それでも80才はとうに過ぎているとは思えないバイタリティに満ちており、
いわゆる元気な、ちょっと呆けたおじいちゃんで、憎めない所もちゃっかり           
と備えていました。時にはあまりのわがままさから、家族とうまくいかず、           
「整体マッサージにかかるから」と言ってホテルに泊まり込む日々もあり            
ました。周りの人には家に帰れない状態とも言えず、「ちょっとホテルで            
静養しているのである」と待合室で自慢げに話しているのが聞こえました。

Iじいちゃんは診療所の為には一生懸命でした。ある日曜日、診療所の            
前庭で一生懸命に大きなそてつを植えているあやしげな人影が有りました。         
近づくと、Iじいちゃんが一生懸命に土を掘り返していました。                   
「診療所の庭にそてつを持って来てやったよ、心配だから自分で植えるんだ」と         
振り向きもせずに植えています。
後日、自宅の庭から勝手に抜いてきたものと判り、ご家族にお詫びの              
連絡をとるはめになりましたが。

ある日、Iじいちゃんは診療所の待合室で意識が無くなりました。                
周りのお年寄りは、
「また、いつもの発作のまねだよ」等と言ってますが、さすがに点滴をして、
救急車にて病院に入院して貰いました。この頃から、Iじいちゃんも入院が           
長びくようになりました。

自宅に退院してきたIじいちゃんは、手足もほとんど動かない寝たきり状態で、         
鼻からチューブが差し込まれていました。
その日から、私の往診が始まりました。過疎の村にも分け隔て無く暖かい            
日がさすようになった頃、少しずつ様態は悪化していき、お迎えが近くなって          
来ました。

ある日往診すると、ここ2〜3日でお迎えが来る様子で、日中一人で面倒            
見ているはずのおばあちゃんにお話しました。その夜は緊急の電話が             
来るかと心配していましたが、無事に一夜が過ぎました。よく日行くと                
Iじいちゃんの様態は更に悪化していました。おばあちゃんに事情を説明し、            
Iじいちゃんのそばについていて欲しいとお願いして帰ろうとすると、                 
両手いっぱいのいちごをおみやげにと差し出されました。                      
なるほど、往診に来たときにおばあちゃんがいなかったのは、畑にいちごを            
摘みに行っていたのだと判りました。

次の日行くと、またおばあちゃんがいませんでした。往診が終わり、               
帰ろうとすると台所からおばあちゃんが出てきて、小さなボールに                         
いっぱいの洗ったいちごを黙って手渡してくれました。                          
「Iじいちゃんはいよいよ最期だから、一緒にいてあげてね」言い残して帰りました。
また翌日往診に行くと、やはりおばあちゃんはいませんでした。                   
暖かい日で散歩でもしてるのかなと思っていると台所でごそごそと音がします。            
帰り間際に小さなタッパーに詰められた暖かい、作りたてのいちごジャムを            
差し出しながら                                              
「先生、いちごジャム食べるかね」「じいちゃん、もうすぐらかね」と                  
ぼつぼつと小声で聞かれました。
「うん、いちご有り難う」「じいちゃんはもうすぐだ」と答え、暖かくていい匂いの           
するいちごジャムと共に家を出ました。

どうして危篤のIじいちゃんと一緒にいてくれないんだろう。やっぱりあれだけ          
わがままだったから、面倒を見るのが嫌なのかなと勝手に考えていました。
次の日も往診に行きました。さすがに今日明日という状態に陥っており、            
最期は一緒にいてあげてねとおばあちゃんに頼もうと家の中をさがしたら、           
うす暗い台所の椅子にぽつんと寂しそうに座っていました。
とても甘い暖かい香りのする台所でした。
「ほんのもうちょっとでお迎えが来るからね」と言い伝え帰ろうとすると、                      
おばあちゃんは大きなボールにいっぱいの、作りたてのいちごジャムを               
手渡してくれました。
「いちごは全部摘んだ、先生が往診に来るのも今日が最後だと思うから、            
いちごは全部ジャムにしたんだ」。

帰りの道すがら、やっぱりばあちゃんはIじいちゃんの最期まで一緒に                  
いるのが嫌なのかなと勝手に想像していました。 

翌日は死亡診断となりました。自宅の南向きの暖かい自分の部屋で、                  
Iじいちゃんは眠るようにしていました。
その脇でおばあちゃんはじっと涙をこらえて無言でしっかりと付き添っていました。

最初はつめたいおばあちゃんかなと思っていました。自宅でお年寄りが療養し、              
お迎えを向かえて行くことは、大切な事だと誰もが認めるところ。
しかし、実際に身近なご家族は、結局どうしていいのか判らないのが本当の            
姿だと気付きました。

お迎えを待つIじいちゃんに何もしてあげられないおばあちゃん。                  
でも何かしていなければ気が済まないおばあちゃん。                        
精一杯自分のできることで、心はIじいちゃんの事を心配し、十分に面倒を                
見ることができない自分を見つめていたのです。

暖かい、いちごの季節になると、本当はとてもとてもIじいちゃんの事が好きで、
自分なりにおじいちゃんとの最期の日々を、精一杯に過ごしていたおばあちゃんの事を思い出します。

Photo北澤幹男

2007年5月30日 (水)

はなこ と たろう

診察室の窓を開け、爽やかな初夏の風とともに朝の診療を始めました。

 「では、血圧も診ておきましょうね」
 「メエーメエーメエー」
 「血圧の方はいつもと同じで落ち着いてますからね」
 「メエーメエーメエー」
 「また、腰の痛みに対しては点滴をして行きましょうね」
 「メエーメエーメエー」
 「・・・・・・・・・」
 「先生! 先生の声に私が返事しないうちに、やぎ達が返事してますよ」

診療所の脇に小さなやぎ牧場を作って、メスのはなこ(1才半)とオスのたろう(1才)が
引っ越して来てから、既に3ヶ月近くになります。
小学校で飼われていたやぎが少し大きくなってしまったので、引き取って欲しいとの知人の
申し込みに二つ返事でいただいたやぎです。

7年前に、この診療所を開設する時に、4頭のやぎ、1頭の緬羊、10羽の烏骨鶏、
数えきれないチャボ達と一緒にこの地に引っ越して来たのを、知人は覚えていたのです。
残念ながら、鳥類は鷹、たぬきや狐の子育ての為にごちそうとなったらしく、
しばらくして小屋から消えてしまいました。やぎ達も寄生虫に感染してしまい、
数年後には失ってしまいました。
 
今回は、小さいながらも診療所の脇に牧場を作り、来年には子やぎも生まれてもいいような
体制で準備してきました。
朝早く、診療所に行っての私の仕事は、やぎ達を草のある所に連れていき、くいにつないで来る事から
始まります。十分に草を食べ、満腹になったところで10時頃に、診察を中断して、
やぎ達を牧場に戻します。
夕方、4時過ぎに再び診察を中断して、干し草の夕ご飯を与えます。こうしてやぎ達の一日は
ゆっくりゆっくりと流れて行きます。
Photo_2 
やぎ達が来てからは、すぐにケアハウスのお年寄りが朝の散歩の帰りに採ってきた
草を投げ入れてくれるようになり、
日中は老人保健施設、特別養護老人ホームのお年寄りが、ぶらぶらと歩いたり、
車いすに乗ったまま、やぎ見物にくるようになりました。また、夕方には近隣の
お年寄りがお孫さんと一緒に草を持って来てくれるようになりました。
隣の小学校の子供達も、何かにつけてはやぎを見に来るようになった頃、
私は子供達に偉そうに聞きました。
 「やぎさんの目はどんな目だと思う?」
 「えー横長の目だよ」「何処見てるか判らない目」「茶色の目だよ」
 「やぎさんの目はね、哲学者の目なんだよ、判る?」
 「えー判らないよー」と子供達
 「のんびりとしていうように見えるけど、色んな事を考えながら遠くを見ているんだよ」

近年、色んな動物達が絶滅の危機に瀕しており、保護されたり、捕獲禁止になり、更にめずらしい動物は動物園などに行くと見られるようになりました。
しかし、昔は何処にでもいて、家庭の残飯を食べ、草取りをして、おっぱいの出ないお母さんにかわって、一生懸命に乳を生産していたやぎ達は、今ではほとんど見る事が出来なくなりました。
当たり前すぎて、派手さも、貴重さも今では持ち合わせない、やぎ達が少しずつ日本から消えようとしています。
Photo_3Photo_4 北澤幹男

2007年5月29日 (火)

ひとりぼっちのけんじ君

診療所から少し離れた交差点の脇に小さな家がぽつんと建っています。
あまりにも小さくて簡素なこの家には人が住んでいる気配はなく、
うち捨てられた無人の小屋のようです。
その小さな家に50才を幾つか過ぎたけんじ君は、一人暮らしです。
両親が亡くなってからは、近くに住む姉さんが様子を見に来るくらいで、
訪れる人もありません。幼い頃から、風貌も行動も地域の人からは異様に思われていて、
友達もなく、一人ぽつねんと暮らして来ました。
 以前から、変わった風貌ときたない格好だという事で、盗難等の事件があるたびに
けんじ君がいつも疑われて来ました。
数年前に、お金に困ったけんじ君は、本当に盗みを働いて警察に捕まってしまいました。
 そのけんじ君がある日、姉さんに伴われて診療所を受診しました。
確かに、薄汚れた格好と、やや不自由なしゃべり方では、見る人を怖がらせる風体でした。
姉さんは
  「何とか薬でこの人をまともに出来ませんか」
  「できません」
 「また警察に捕まると困るんです」
  「・・・・・・」。

 「けんじ君、草取りしようよ」
 「診療所の前の花壇や周りの草取りをお願いするから」
 「でもお金は払わない、その代わりにお昼をごちそうするから」
そして、何か納得のいかない顔で姉さんとけんじ君は帰って行きました。
 翌朝、診療準備をしていたところ、受付の職員が血相を変えて飛んで来ました。
 「先生、凶器を持った怖い人が待合室にいます。」
 「えーー」
 「周りのお年寄りが怖くて固まっています。」
困ったなと思いながら、待合室をのぞいてみると、何とピカピカに磨かれた
良く切れそうな鎌を抱いてけんじ君が真面目な顔でソファーに座っていました。
周りにいたお年寄りは恐怖感から、しーんと押し黙っていました。

何かあるといけないと思いながら、思い切りの笑顔を浮かべながら
 「けんじ君や、草取りする気になったかい」
 「うん、うれしくてさっそく鎌もちゃんとお金を払って買って来た」
 「でもけんじ君、鎌を丸出しで持って来たら、周りが怖がるよ」
 「うんうん だいじょうぶ」

その日から、けんじ君は雨の日も暑い日も休日以外は毎日診療所に
来るようになり、黙々と草取りをしました。最初は花を抜き、草を残していましたが、
少しずつ刈るべきものが判るようになりました。冬は、一生懸命に雪かきをしてくれます。
約束通り、お昼は給食を用意してあげますが、厨房の職員もけんじ君にだけは、
おかずを多くしたり、おまけをつけたり、ご飯はもちろん大盛りです。
 けんじ君が来るようになり、数年も経つと、草取りや雪かきをしている姿が、
景色にとけ込むようになりました。
 そんなある日、人目を避けるように刑事さんが診療所に来ました。
隣町での窃盗事件の捜査だと伝えられました。最近のけんじ君の働きぶりや休んでいないか等を訪ねて帰りました。警察はけんじ君が犯人だと思っているようでした。心配になり、けんじ君の家に行きました。
 「最近、悪い事してないよね」
 「うんうんしてねえよ」
 「なんかあったらしくて警察が診療所に来た」
 「何にもしてないよね」
 「うんうんしてねえよ」

 その数日後に、刑事さんからけんじ君に会って来たと電話が有りました。
けんじ君の生活はきちんとしていたし、本当の犯人も見つかった。捜査とはいえ、
けんじ君には迷惑をかけたと言われました。
最近は、職員の夏のビール大会や、忘年会に招かれて一緒にお酒を飲むようになりました。
ひとりぼっちのけんじ君ですが、今ではみんなの景色の中で、大事なけんじ君です。

Photo 北澤幹男

2007年2月14日 (水)

しただの散歩落書帳 その9 鳥の哀しみ

鳥の哀しみは空で死ねない事である。
と どこかで詩人が書いていた。

私の哀しみは空を飛べない事だろうか?
私の哀しみは鳥になれない事だろうか?

舞い上がりたい程の、群青色の空を見上げつつ
冬の道をぼとぼと歩いている私がいた。

Sannpo1 見えるものからしか見えないものは語れない。
と 歌っている詩人がいた。

私の哀しみは見えるもの全てであろうか?

私の哀しみは見えないもの全てであろうか?

いつの間にか、夕陽が輝き、私の小さな想いを
みんな飲み込んでいってしまった。
Sannpo2 北澤幹男

2007年1月15日 (月)

しただの散歩落書帳 その8 心の叫び、体の解放

遠くでぼんやりと見えていた景色が次第に、網膜にはっきりと見えて来た。

靴音とともに躍動する体。どこかの本で読んで、脳裏にうっすらと残っていた言葉がはっきりと聞こえてきた。

「心の叫び、体の解放」。そして、私はフラメンコに出会ってしまった。

孫のいる男、55歳で異国のスペイン舞踊にどんどんと魅入られて、はまっていく姿は、周囲からは年寄りの冷や水としか映つりません。

しかし、フラメンコを習い始めてみて、心も体も、全く自分の自由にならない事につくづくと気づかされてしまいました。
 自分のものだと思っていた、「私」の、この「心」この「体」、ちっとも私の言う事を聞いてくれません。

※添付した写真は、リウマチで指がほとんど効かない方が必死に作成してくれた焼物の仏さまです。指が自由に動いたらどんなに素晴らしいかしらと本人はくやしさを
思いながら、手で握り占めるように作った仏さまで、良く見ると指の跡が見えるはずです。

それにつけて、四肢が自由に動く私は何の有難味も感じないで
やれ、手がうまく動かない、足がうまく運ばないと不平を
こぼしてしまう毎日です。

結局は、体も心も仏さまからあずかったものですね。
「私」というもの「心」というもの「体」というもの
全て仏さまからのあずかりものです。

北澤幹男

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2006年10月 6日 (金)

しただの散歩落書帳 その7 ヤギさんの秋

とても暑かった夏がいつの間にか遠のき、少しずつススキがあちこちで存在感を
示すようになり、気がつくと真っ赤な夕焼けに見とれている自分がいます。
谷間(たにあい)のようなここの地形で、西の彼方にお日様が焼け落ちていく様子は、
どこか寂しくもあり、わくわくもさせられます。

Clip_image002_13 

そして、とうとうヤギさんの顔が膨らみ始めました。冬が近づくにつれて、ある日ヤギさんは顔が膨らみ、体の毛も少し立ち加減にかわります。冬への準備が始まったのです。季節に逆らわず、夏には夏の顔、冬には冬顔のヤギさんです。カレンダーを持たないヤギさんは、季節の流れに逆らわず、乗り遅れず、その時節の装いとなります。ヤギさんの秋が到来したようです。
Clip_image002_14

   

ヤギさんの目は哲学者の目、はるか遠くをじっと見つめて、色んな事を黙ってじっと考えています。
横一直線の瞳は、深い思いに満たされています。冬の寒さを耐え、夏の暑さにうだりながらも、黙って遠くをじっと見ています。
ふと気づくと、遠くを見る事も無くなった自分。ただ景色としての周りを、
ぼおーっと見ているだけの自分でした。
北澤幹男

2006年9月22日 (金)

しただの散歩落書帳 その6 お月屋さん

「もしもしかもしか診療所でしょうか?」
夜分に突然の電話
「はいかもしか診療所ですが どうされましたか?」
「いえいえ、昨日お月様をひとつ注文されましたよね」
「はい たしかにお月様をひとつ、それもまあるいまあるい満月をひとつ注文しましたが」
「お客さんのご注文は確かにまあるい満月という事なんですがね〜」
やけに元気のいい声である
「何か不都合でも有りましたか?」
「それがですね、今はもう満月をちと過ぎて、欠け始めていてまあるい満月という訳にはいかないんですよ」
「え〜 欠けた月ですか それじゃあ 困るなあ」
「そうですよね ご注文はまあるい満月ですものね」
段々、声はしおらしくなってきた
「欠けた月ではご不満のようですから、水星と金星を一個ずつ、おまけとしてお付けしますが、如何ですか?」
「え〜水星と金星を付けて貰ってもね〜、だって欠けた月では、ウサギさんが
可哀想だしね〜」
「そうですね 欠けた月にウサギさんは似合わないですよね」
「また、次の満月の前にでも注文を出しましょうか」
「いや〜 そうしていただくととても助かります」
「じゃあ 宜しくお願いしますね」
「はあい まいど」
ふと目が覚めて、夜の庭に出てみると。冷えた空気の中で、素晴らしい満月の空でした。
Fullmoon1_1  北澤幹男

2006年9月12日 (火)

しただの散歩落書帳 その5 赤い秋

しただのあちこちを散歩していると、季節の移り変わりが、色と空気のにおいと風の肌触りで教えられます。

山々は紅葉の錦を着飾る前に、一瞬ですが最後の緑に映え、移ろう季節を送ってくれます。そしていよいよ真っ赤な季節がやってきます。

道ばたにはひっそりと、ほおずきが赤い袋をふくらませ、子供の頃の甘い記憶を呼び起こしてくれます。

Clip_image002_5

  

また、南蛮も自分こそが秋の赤の代表よと言って、誇ら しげに胸を張ります。

                   Clip_image002_8             

たしか、お経の一説に、

青色青光 (青い色から青い光が)
赤色赤光 (赤い色から赤い光が)
白色白光 (白い色から白い光が)                                 黄色黄光 (黄色い色から黄色い光)

いろんな色に囲まれながら、私自身がこの風景の中で、ちっぽけでいいから光っていたいなあと思いました。

北澤幹男

2006年9月 5日 (火)

しただ散歩落書帳 その4 秋の雲に

Photo_49

雲が流れていくのではない

流されているのは私自身なのだ

北澤幹男

Photo_50

2006年8月30日 (水)

しただふるさと祭り 4 診療所「収穫祭」

Photo_35 毎年かもしか診療所ではしただふるさと祭りと時機を同じくして、「収穫祭」を行います。診療所の前に畑を設け、ご利用者と職員で野菜を育て、それを収穫・調理し、皆さんで味わい、健康増進を図る、というものです。

Photo_36 しかし!今年は大変なことが・・子山羊の太郎が畑の前の野菜をすべて食べつくしてしまったのです(子山羊の太郎については8/1投稿参照下さい)。
そのため今年はご利用者や職員で野菜など持ち寄り、調理して頂きました。

Photo_37 また今回は職員のSさんの超本格的なフラメンコが披露されました。Sさんのフラメンコはそれは本格的なもので、見るものを圧倒するほどのものです。
ところが今回はSさんのフラメンコをさらに圧倒する出来事が起きました。

Photo_38 この後姿は一体誰?え?こ、これは・・・

Photo_41 当法人のトップである北澤理事長ではないですか!この衣装は何なんでしょうか?うっお化粧まで・・・

登場した瞬間、歓声とも悲鳴ともつかないどよめきが上がりました。

Photo_40あ、理事長おそらくどうしてよいのか判らず履いていたわらじを手に持ち踊り始めました!                  

他の方々は本格的なフラメンコ、理事長は・・盆踊りの激しいものでしょうか・・・。

とんでもないサプライズはありましたが,その後は皆様で旬の野菜を楽しみながら和やかにご歓談されていました。トップたるもの、祭りではこのようにはじけなければご利用者を楽しませることはできない、ということを身をもって教えていただいた気が致します(本人がやりたかっただけかもしれませんが・・)。Photo_42
T.K

2006年8月28日 (月)

しただの散歩落書帳 その3 無防備なサツマイモ

Clip_image002 道ばたに山の清水で洗われた
サツマイモが2本
あるがままの姿で並んでいる

サツマイモである事の全てを
あまりにも無防備にも
平然とさらけだしている

武装し尖った心の
私はただ立ち尽くして
敗北を認めなければならない

北澤幹男

2006年8月21日 (月)

しただの散歩落書帳 その2 道ばたの石ほとけさん

散歩で歩いて行くと道ばたの草むらの中に、何か石の固まりを見つける事があります。草をかき分けて覗き込むと、そこにはすり減った石の仏様や道祖神が立っておられます。

1
多くは表面が摩耗し、仏様なのか神様なのかも判らなくなっています。夫婦でおられれば道祖神だとも判りますが、ようく見ないとただの石の固まりのようになっているものも多いようです。
特に、道祖神は夫婦一緒で見分けやすいのですが、既に何時作られたのか、誰が建てたのか、どうしてここにおられるのか、全く不明になっています。
じっと道ばたに立っておられ、冬は深い雪に埋もれ、春は草から顔を出し、梅雨には雨に打たれ、夏の炎天に焼かれ、秋の静かさにひっそりと立っておられます。

2
昔、辛い思いを背嚢の奥にひそめて出征していった人々を、悲しい思いを行李につめて出稼ぎに行ったおとうさん達を、寂しい思いを胸に抱えて集団就職で出て行った若い人たちをじっと見送ってこられたのでしょう。また、花のようなお嫁さんが通り、亡くなった方の見送りを、宝物を抱くように赤ちゃんと一緒に帰ってくるお嫁さんを、色んな人々が行き交うのをじっと黙って見つめ、道行きの安心を願っておられたのでしょう。

今は便利な車社会。どこへ行くにも便利に目的地にたどり着きます。車からは見えない道ばたの草むらの中。便利な社会が忘れかけた思いが佇んでおられるような気がします。
私自身、色んな方々から、見えない形の思いを寄せていただいている事も多いのに、その思いを、見ないで、見ようとしないで今まで過ごしてきているような気がします。

気がつかない、見えない所から、石ほとけのようにじっと見守っていただいているのに、自分自身の傲慢にハッとする事があります。

北澤幹男

2006年8月15日 (火)

しただの散歩落書帳 その1 昔からある花

Photo_7 今日もらむとぽぽ(赤毛のボーダーコリー)と一緒に、お散歩です。下田の地域は冬をのぞいて、色んな花が咲き乱れていて、散歩して回って来るだけでも、実に多くの花々に出会う事が出来ます。

 名も知らぬ花々をかいくぐるように道を抜けると、またそこは小さなお花畑になります。名前を知っている花もあったり、初めて見る花も有ったり、緑の山々に囲まれて、素敵な色模様とになります。

Photo_9 ある時、道ばたで見知らぬ花に出会い、丁度近くで野良仕事をしていたおじさんに「この花は何ていう名前なんですか?」聞いてみました。
「ふ〜〜む この花らかね」「何だろかね〜〜」
「ようわからんろも 昔からある花 らがね」とのお返事でした。

 最初は、煙に巻かれたのか、適当にあしらわれたのかなと思っていましが、よくよく考えてみると、大きな思い違いをしている事に気づきました。

 花は太古の昔からの命をつないで、今奇麗に花としての開いています。花の名前なんて、後で人間が勝手に付けただけなんですね。花として生かさせていただいている感謝で精一杯に咲いているんです。

 人間の私も、遠い祖先からの命がつながって、今こうして生かさせていただいています。でも、花とは異なり、色んな事にこだわったり、執着したり、まるで生きている事に不満だらけの毎日を過ごしているようでなりません。

 昔からある花 とても素敵な名前に思えるようになりました。空が青く深く見える日でした。

Photo_10
北澤幹男