2006年8月30日 (水)

しただふるさと祭り 4 診療所「収穫祭」

Photo_35 毎年かもしか診療所ではしただふるさと祭りと時機を同じくして、「収穫祭」を行います。診療所の前に畑を設け、ご利用者と職員で野菜を育て、それを収穫・調理し、皆さんで味わい、健康増進を図る、というものです。

Photo_36 しかし!今年は大変なことが・・子山羊の太郎が畑の前の野菜をすべて食べつくしてしまったのです(子山羊の太郎については8/1投稿参照下さい)。
そのため今年はご利用者や職員で野菜など持ち寄り、調理して頂きました。

Photo_37 また今回は職員のSさんの超本格的なフラメンコが披露されました。Sさんのフラメンコはそれは本格的なもので、見るものを圧倒するほどのものです。
ところが今回はSさんのフラメンコをさらに圧倒する出来事が起きました。

Photo_38 この後姿は一体誰?え?こ、これは・・・

Photo_41 当法人のトップである北澤理事長ではないですか!この衣装は何なんでしょうか?うっお化粧まで・・・

登場した瞬間、歓声とも悲鳴ともつかないどよめきが上がりました。

Photo_40あ、理事長おそらくどうしてよいのか判らず履いていたわらじを手に持ち踊り始めました!                  

他の方々は本格的なフラメンコ、理事長は・・盆踊りの激しいものでしょうか・・・。

とんでもないサプライズはありましたが,その後は皆様で旬の野菜を楽しみながら和やかにご歓談されていました。トップたるもの、祭りではこのようにはじけなければご利用者を楽しませることはできない、ということを身をもって教えていただいた気が致します(本人がやりたかっただけかもしれませんが・・)。Photo_42
T.K

2006年8月29日 (火)

しただふるさと祭り 3 祭り会場にて

Photo_32 しただふるさと祭りのメイン会場は下田大橋左岸の五十嵐川河川公園特設会場で開かれました。下田地区の14団体が模擬店を店開きし、その中に私たちの法人も参加させて頂きました。メニューはわたあめ、キャラメルポップコーン、中華粥、枝豆、生ビールです。このイベント、よくお祭りにいらっしゃる「露店商」の皆さんがいないこともあり、飲食物の価格が安い!ある団体が販売していた牛串焼き、通常500~600円ぐらいするものが300円!それも旨い!わが法人も生ビール以外は100円から200円で提供させていただきました。

Photo_31  やや?職員が枝豆を煮ていますね。果たしてその手は清潔なのでしょうか?ご安心を。そこは医療法人、このO157にも効き目がある消毒液でしっかり除菌しています。

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そしてあれは朝の9時半頃にはぐったりしていたT山君ではないですか!声をからして中華粥を売り込んでいます!売れた?

2_1そしてこちらの二人は・・・わたあめを購入した方には、アンパンマンか、ハム太郎、どちらかの袋を選んで
頂くのですが・・この二人、わたあめができるまでの間、選んでいただいた方の主題歌を歌っています!そしてお客様は・・引いています。どんびきです。そして女の子に言われた極めつけの一言は「うるちゃい!!」どうやらサービスにはならなかったようです。
祭りは夜まで続き、大蛇の胴体を燃やし花火を打ち上げ、フィナーレとなりました・・・

T.K

しただふるさと祭り 2 雨生の大蛇

私たちの法人がある下田郷には古くから雨生物語という伝説が語り継がれています。その伝説を基にしただふるさと祭りには「雨生の大蛇祭」というものがあります。要点をかいつまむと・・・・
昔、笠掘の甚右ヱ門という名主に美しい一人娘がいた。あるとき戦に敗れ、血まみれになった若い武士が「休ませてください」とやってきた。娘と母は毎日傷の手当をしてやった。2ヶ月ほど手当てをしている間に娘はこの武士をすっかり気に入り、母も内心この人を婿にと思っていた。

ところがある晩、武士が娘に「大変お世話になりました、傷も直して頂きましたしこれ以上長居するわけには参りません。明日の朝夜明け前に行かねばなりません。」と告げた。
急に別れを告げられた娘は泣き崩れ、急いで母にそのことを知らせると「困った、しかしお前のお腹にはあの若いお侍さんの子どももいること。きっと帰って来てくれるよ。もし心配なら赤い糸玉の端をあの人の衣のすそに縫い付けておきなさい」と娘に言った。その通りにし、娘はその夜は休んだ。翌朝娘が起きて見るとすでに武士の姿は無く、あわてて母と赤い糸を頼りに行くと雨生ヶ池へと糸は消えている。娘とは母、ただ呆然と雨生ヶ池を見つめていた。

すると突然池から大蛇が現れ「わたしはあの時助けて頂いたこの池の主です。本当にお世話になりました。しかし今朝ここに帰ってくる前に体に毒針を刺されたのでやがて死んでしまいます」「娘さんのお腹には私の子どもがいます。どうか大切に育ててください。その子の腋の下には蛇の鱗が3枚ありますから確かめてください。」
というと大蛇は姿を消してしまった。子どもは立派に成長し、後に勇名を轟かした五十嵐小文治だといわれている。以来この地では大蛇に刺さった毒針の所以から金物が一切禁じられ、金物を投げると大雨になると言われている・・・・(1999年発行下田村勢要覧より、抜粋引用) (突然娘さんのお腹に子どもができているあたり、性に対しておおらかであった、昔話そのままのなんともいえない部分があり、これを趣がある、とでも言うのでしょうか・・)
Photo_20

このような伝説を基にして、村内の有志が杉の木の頭部と竹とわらを組み合わせ、重量1.5トン長さ60メートルの大蛇を作り上げ、八木神社で大蛇に魂を入れる儀式を行った後、地域内を練り歩きます。毎年、私たちの法人、老健いっぷく、特養いっぷく、かもしか病院にもやってきて頂きます。最後には五十嵐川の河川敷会場にて頭部を残し燃やされます。大蛇の上に菅笠姿で乗っているのは物語の笠掘姫に見立てた女性です。Photo_21

Photo_22 先頭は稚児の行列です。いよいよ「いっぷく」に大蛇が入ってきます。入所されている方々は玄関前やテントの日陰で今か今かと待ち受けています。

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来ました!大蛇、物凄い迫力です。「ソイヤッ!サッ!」の掛声と共にいっぷくの敷地内を練り歩いていきます。

後姿も60mともなるとかなりの迫力です。

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大蛇は特別養護老人ホームいっぷくに入っていきます。入所されている方々も歓声をあげて大蛇を迎えています。

Photo_25 Photo_26

介護老人保健施設いっぷくにも大蛇入場です。実はこの大蛇の後には地元のイラストレーター遠藤ケイさんが作成し、子どもたちが中心となって担ぐ「子大蛇」があります。当日は朝から晴天で最高気温も30℃を軽く上回る真夏日となり、子どもたち、いやいや、子大蛇も少々ばて気味です。Photo_27

その後大蛇は一度解体され、かもしか病院のお隣にある「いい湯らてい」から大蛇行列が再度スタートします。

かもしか病院での大蛇の様子です。Photo_28 当日いっぷくでのご利用者はテントなどを利用し日陰で観覧頂き、病院では日陰と麦わら帽子を使用されていました。なかなか壮観な景色でしたが、プライバシーの都合上ここに画像を載せることは差し控えさせていただきます。Photo_30 病院エントランスで大蛇は気勢を上げ、去っていきました。とにもかくにも地域の方々には感謝であります。そしてしただふるさと祭りはまだまだ続きます。

T.K

しただふるさと祭り 1 委員長の苦悩?

8/26(土)三条市の旧下田村地域においてしただふるさと祭りが
行われました。
私どもの法人も地域のお祭りということで参加させて頂きました。
その私どもの法人内委員長がT山君です。

T
あっまだ9:30だというのにこのへたれ込み具合・・・
そうですよね、このようなイベント責任者は準備が大変なんですよね。
しかしこの後彼にはまだまだ仕事が山積みです。
倒れる一歩手前まで頑張って頂きましょう!

T.K

2006年8月14日 (月)

就職ガイダンス大盛況

8月9日、新潟医療福祉大学にて就職ガイダンスがありました。

そのガイダンスに私たち医療法人社団しただ・社会福祉法人しただも

参加させて頂きました。

卒業見込みの学生さん達に「是非、うちの法人に来て働いてください!」という『しただ』をアピールする場だったのですが・・・

RSは、年齢が25歳、学生の皆さんとさして年齢が違うわけでもなく、偉そうに説明できる立場じゃない・・・・ その上、このHP効果で、私たちのブースには、すでに学生の皆さんの大行列! でも、持っている知識を搾り出し、学生の皆さんにご説明させて頂きました。

(今から考えると、私かなり舞い上がってしまっておりきちんとした説明ができたかどうか、非常に心配であり、心残りです・・・・)

とにもかくにも私が必死に説明させて頂いた事は、「下田」は、緑溢れる素敵な所。『しただ』は、ヤギ(花子、太郎)がいて、犬(ラム、ポポ)が走り回っていて、そして何より笑顔のステキな理事長がいて・・・のように説明してきました。そして学生の皆さんが一番興味を引いたのは病院や老人保健施設、老人ホームとは思えない建物の色でしょうかね?

新潟医療福祉大学の学生さん達は、いい人達ばかりで、こんなRSの話をホント一生懸命聞いて頂きました。ありがとうございました。当法人の見学等はご連絡頂ければ最大限対処させて頂きます。医療法人社団しただならびに社会福祉法人しただをよろしくお願いします。

総務課 R.S

2006年8月 8日 (火)

「お迎え」と「お見送り」

私たちの法人には、入所・入院施設がいくつかあります。
当然のことながらお亡くなりになる方々もいらっしゃいます。
今回はそのことについて投稿したいと思います。

個人的な思い出で大変恐縮なのですが、私が中学生の時、
叔父が病院で亡くなくなりました。葬儀社の方がご遺体を
お引取りに来られた際、病院の薄暗い裏口から出て行かれました。
幼い記憶ながら非常に寂しく、そして「人は亡くなったら
このような扱いを受けるのか」という思いが後々まで残りました。

私たちの法人では入所・入院された方に「お迎え」が来られた時には
明るい正面玄関から出て行かれます。
そして職員が「お見送り」をさせて頂きます。
正面玄関から入ってこられた方は正面玄関から出て行かれるのが
普通に考えれば当たり前のことではないでしょうか。

今の日本の精神構造は、戦後から近代化を急ぐあまり、
大切なことを考えることを忘れてしまった気が致します。
「死」というものを忌み嫌う風潮も今一度考え直す必要が
あるのではないでしょうか。盛夏の折に暑さでやられた、
法人一職員の独り言と受け取って頂ければ幸いです。

Photo_8

T.K

2006年8月 1日 (火)

子山羊の太郎、見参

T.Kより

Photo_3 以前からかもしか診療所では北澤先生がお世話係となって山羊を飼っていました。しかし春先に牡の「太郎」がお亡くなりになり牝の「花子」が独りぼっちでいました。
今回法人のホームページを見た方から牡の小山羊を譲り受けることが
できました。その山羊が下田荻掘の弥田動物病院にて去勢手術と角切断のため三日間にわたる闘病生活の末に無事退院、復帰してきました。
去勢手術は麻酔下に順調に運びましたが、角の切断では、出血多量となり、途中で断念して、止血と感染予防の為に退院が遅れたそうです。残りの角の切断は後日という事になりました。(弥田病院からの請求書がまだ届いておりません・・・・)
お名前は「太郎」です。名付け親は北澤先生です。前の牡の山羊「太郎」
同じ名前です。先生いわく現代における記号論学者のウンベルト・エーコ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B3
を持ち出して「わかりやすく牡牝の判断ができ、覚えやすいのがよい!」とおっしゃっていますが・・・・
となると今後未来永劫かもしか診療所にやってくるやぎは代々「太郎」「花子」
にしかならないというところでしょうか・・

とにもかくにも「太郎」は継母の花子と、仲良く暮らしています。
皆さん可愛がって下さい。なお、山羊さん達は地面に落ちた食べ物は拾いません。
えさ箱以外に野菜等を投げ込まないで下さいませ。