人間関係、1対1のお付合い、アンサーテキスト
先日、私T.Kより下記の文章を掲載いたしました。
https://shitada.blog-niigata.net/shitada/2007/09/post_339e.html
後日、その文章のアンサーテキストとして、法人職員T.Aから以下の文章が届きましたので掲載します。様々な示唆に富む文章だと思います。
https://shitada.blog-niigata.net/shitada/2007/09/post_339e.html
後日、その文章のアンサーテキストとして、法人職員T.Aから以下の文章が届きましたので掲載します。様々な示唆に富む文章だと思います。
また文中の「ブログ」というのは、上記リンクの文章を指しています。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■私が福祉関係の仕事に転職しようと思っていた頃に、友人から言われたことを思い出しました。
「福祉とかって難しいよね。私は偽善者になれないし・・・」
友人は何の悪気もなくいった言葉だと思うのですが私の中でずっと心のどこかにつかえていたもがよみがえりました。
あの時私は自信を持って説明ができなかったのを覚えています。
今なら答えにはならないかも知れないけど少しだけ、このブログを読んで自分の思いを話せそうです。
私たちはご利用者と同じ目線で関わるように心掛けています。
お話をするとき、食事のお世話をする時動作からも同じ視線から行います。
当然、お体の不自由な方ですので全てにおいてペースをご利用者に合わせるわけです。ブログにもありましたが関わる私たちがご利用者に対して根本的にしてやっている、助けてあげているなどと見下した考えを持っていたとしたら、やはり私たちは偽善者という危険な集団に化してしまいます。
お話をするとき、食事のお世話をする時動作からも同じ視線から行います。
当然、お体の不自由な方ですので全てにおいてペースをご利用者に合わせるわけです。ブログにもありましたが関わる私たちがご利用者に対して根本的にしてやっている、助けてあげているなどと見下した考えを持っていたとしたら、やはり私たちは偽善者という危険な集団に化してしまいます。
ご利用者と同じ視線・同じペースに合わせる事ではじめて対等に向き合う事ができるのであって決して哀れみや同情ではなく、人生の先輩に対してお世話させていただく気持ちで接していかなければと考えています。
ある研修で、認知症のご利用者に対して、我々は「良い役者になれ」と言われたことがあります。
その人が私を娘と思うならその人の娘になり
その人が私を母と思うならその人のように接しなさい
その人を馬鹿にするのではなく
人格を尊重する手段として・・・
その人が私を母と思うならその人のように接しなさい
その人を馬鹿にするのではなく
人格を尊重する手段として・・・
とりとめのない思いを書き連ねてみました。
T.A
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