はなこ と たろう
診察室の窓を開け、爽やかな初夏の風とともに朝の診療を始めました。
「では、血圧も診ておきましょうね」
「メエーメエーメエー」
「血圧の方はいつもと同じで落ち着いてますからね」
「メエーメエーメエー」
「また、腰の痛みに対しては点滴をして行きましょうね」
「メエーメエーメエー」
「・・・・・・・・・」
「先生! 先生の声に私が返事しないうちに、やぎ達が返事してますよ」
診療所の脇に小さなやぎ牧場を作って、メスのはなこ(1才半)とオスのたろう(1才)が
引っ越して来てから、既に3ヶ月近くになります。
小学校で飼われていたやぎが少し大きくなってしまったので、引き取って欲しいとの知人の
申し込みに二つ返事でいただいたやぎです。
7年前に、この診療所を開設する時に、4頭のやぎ、1頭の緬羊、10羽の烏骨鶏、
数えきれないチャボ達と一緒にこの地に引っ越して来たのを、知人は覚えていたのです。
残念ながら、鳥類は鷹、たぬきや狐の子育ての為にごちそうとなったらしく、
しばらくして小屋から消えてしまいました。やぎ達も寄生虫に感染してしまい、
数年後には失ってしまいました。
今回は、小さいながらも診療所の脇に牧場を作り、来年には子やぎも生まれてもいいような
体制で準備してきました。
朝早く、診療所に行っての私の仕事は、やぎ達を草のある所に連れていき、くいにつないで来る事から
始まります。十分に草を食べ、満腹になったところで10時頃に、診察を中断して、
やぎ達を牧場に戻します。
夕方、4時過ぎに再び診察を中断して、干し草の夕ご飯を与えます。こうしてやぎ達の一日は
ゆっくりゆっくりと流れて行きます。
やぎ達が来てからは、すぐにケアハウスのお年寄りが朝の散歩の帰りに採ってきた
草を投げ入れてくれるようになり、
日中は老人保健施設、特別養護老人ホームのお年寄りが、ぶらぶらと歩いたり、
車いすに乗ったまま、やぎ見物にくるようになりました。また、夕方には近隣の
お年寄りがお孫さんと一緒に草を持って来てくれるようになりました。
隣の小学校の子供達も、何かにつけてはやぎを見に来るようになった頃、
私は子供達に偉そうに聞きました。
「やぎさんの目はどんな目だと思う?」
「えー横長の目だよ」「何処見てるか判らない目」「茶色の目だよ」
「やぎさんの目はね、哲学者の目なんだよ、判る?」
「えー判らないよー」と子供達
「のんびりとしていうように見えるけど、色んな事を考えながら遠くを見ているんだよ」
近年、色んな動物達が絶滅の危機に瀕しており、保護されたり、捕獲禁止になり、更にめずらしい動物は動物園などに行くと見られるようになりました。
しかし、昔は何処にでもいて、家庭の残飯を食べ、草取りをして、おっぱいの出ないお母さんにかわって、一生懸命に乳を生産していたやぎ達は、今ではほとんど見る事が出来なくなりました。
当たり前すぎて、派手さも、貴重さも今では持ち合わせない、やぎ達が少しずつ日本から消えようとしています。
北澤幹男
5月初旬の爽やかな日に、家族のつきそいで診療所に行きました。
車を停めて、まず迎えてくれたのが、たろう。
よく見ると、その奥の草のかげでは、はなこが草をむしゃむしゃと食べています。
日常生活ではなかなか目にしない光景が、
診療所周辺の景色にはとてもなじんでいて、
携帯で写真を何枚も撮りました。
車で1時間弱、年に何度かおじゃまする診療所ですが、
四季折々の心を和ます風景が待っていてくれます。
投稿: | 2007年6月 1日 (金) 13:30