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2006年8月15日 (火)

しただの散歩落書帳 その1 昔からある花

Photo_7 今日もらむとぽぽ(赤毛のボーダーコリー)と一緒に、お散歩です。下田の地域は冬をのぞいて、色んな花が咲き乱れていて、散歩して回って来るだけでも、実に多くの花々に出会う事が出来ます。

 名も知らぬ花々をかいくぐるように道を抜けると、またそこは小さなお花畑になります。名前を知っている花もあったり、初めて見る花も有ったり、緑の山々に囲まれて、素敵な色模様とになります。

Photo_9 ある時、道ばたで見知らぬ花に出会い、丁度近くで野良仕事をしていたおじさんに「この花は何ていう名前なんですか?」聞いてみました。
「ふ〜〜む この花らかね」「何だろかね〜〜」
「ようわからんろも 昔からある花 らがね」とのお返事でした。

 最初は、煙に巻かれたのか、適当にあしらわれたのかなと思っていましが、よくよく考えてみると、大きな思い違いをしている事に気づきました。

 花は太古の昔からの命をつないで、今奇麗に花としての開いています。花の名前なんて、後で人間が勝手に付けただけなんですね。花として生かさせていただいている感謝で精一杯に咲いているんです。

 人間の私も、遠い祖先からの命がつながって、今こうして生かさせていただいています。でも、花とは異なり、色んな事にこだわったり、執着したり、まるで生きている事に不満だらけの毎日を過ごしているようでなりません。

 昔からある花 とても素敵な名前に思えるようになりました。空が青く深く見える日でした。

Photo_10
北澤幹男

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コメント

 人の多くは何にでも名を付け固定化し、すべてを掌握したがるように思います。確かに、そうする事により色んなことが整然と伝えられるようになり、物事をより効率的に行えるようにもなります。
 しかしながら、世の中にはどうでもよいままにしていたほうが気持ちよく過ごせることも多いと思います。
 
 人が勝手につけた名やイメージに合わせて咲くのではなく、今、自分が与えられた環境でいかに綺麗に精一杯「花と」いうものを咲かすことができるか。そんな「昔からある花」の気持ちを教えてもらえたような気がしてあらためて自分を振返り、存在意義について思い出させていただいたような気がしました。

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