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2007年6月15日 (金)

テリさんの畑

※また梅雨の季節がやってくると同時に、3年前の7.13水害が思い出されます。そして中越大震災。理事長北澤幹男からのテキストです。2005年に作られたテキストなので、村内という表記がありますが当時の下田村のことです。(T.K)

テリさんの畑

山間の斜面の、林で囲まれた所に、テリさんの小さな畑があります。畑は自宅のある集落からはかなり離れていますが、八十歳を過ぎたテリさんは、小さな手押車を押しながら、ほとんど毎日のようにやってきます。

本当に小さな畑ですが、自分一人で作れるものは季節ごとにいろんな野菜を作っています。春には一塊のイチゴが花を咲かせ、秋には立派な里芋が掘られます。どれもほんの少しずつしか作りません。テリさんの家の食卓はスーパーで買ってきた食材が中心で、畑のものは食卓に出ず、テリさんが自分で食べ、友達にわける分だけ野菜を作るのです。

その日は朝から湯船をひっくり返したような土砂降りが続いていました。小さな診療所も雨で流されるののではないかという降り方でした。山であふれた水が直接周囲を流れ始め、用水は水を吹き上げました。

昼ごろには、村に通じる橋は全て通行止めとなり、道路も大半が遮断され、とうとう孤立してしまいました。川は堤防を越えるようになり、いたるところで田や畑が川となり、近くの温泉施設は海の中に孤立した状態となりました。そうこうするうちに、ダム決壊の恐れが出て、放水サイレンが不気味になり続け、村内の多くの集落に避難指示が出ました。

夕方を過ぎて、雨は小降りになり、川の水位の上昇も落ち着きましたが、三条市街地では土手が決壊し、大変な惨事となりました。

水害が去り、しばらくしてテリさんの畑に行ってみました。相変わらず、黙々と畑仕事をしていましたが私を見つけると「山からこの畑に、滝のように水が流れたらしく、かなりながれてしもたて」「でももう普通の畑みたいに復活していますね」「自分の畑だからね、一生懸命なおしたて」「根こそぎ流れなくて良かったですね」「洪水よりも人間の方が根こそぎ盗んでいくからおっかねって」

この村では春から秋にかけて、栽培している山菜、庭先の花、キノコ等、よく観光客に盗まれます。田舎とはいえ、私有地なのに、たけのこも根こそぎ盗まれます。たけのこのある場所に、わざわざ「ここの竹の子取るな」と看板を出す人もいました。

「洪水が畑を襲ったけど、町の盗っ人と違って根っこは残してくれたっけね」と明るい笑顔で、また畑仕事に戻りました。

秋の一日が終ろうとする夕方六時直前でした。ゴオーという不気味な大音響とともに天地がひっくり返るような揺れが来ました。最初は何が起きたのか理解ができませんでしたが、すぐに次の大揺れが来て地震だと気付きました。その日は大地震並みの余震が明け方まで続き、恐ろしい夜となりました。

翌日に診療所を見てみると、カルテは散乱し、天井の一部が下降し、所によって落ちてきたガラスが散乱し、壁にヒビが入っていましたが大きな被害は免れました。新潟県中越大震災は村内にっも、あちこちで被害を残しました。

余震も減ってきた頃、テリさんの畑で一生懸命働く姿を見つけました。

「地震でも畑は大丈夫だった見たいですね」「長く生きたろもおっかねかったの、畑は大丈夫らったて」「少しずつ作ってればいいんだてば、少しずつ、自分の分だけ作ってればいいんだてば、少しずつ、自分の分だけらてば」

今年もテリさんは、すこしずつ野菜を作るのでしょう。厳しい季節や気候の中で、小さな畑は、きっと大きな掌の上にあるのでしょう。洪水や地震にもまれながら、私たち自身の右往左往も、掌の上であることを忘れそうです。

Photo北澤幹男

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