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2006年8月 8日 (火)

「お迎え」と「お見送り」

私たちの法人には、入所・入院施設がいくつかあります。
当然のことながらお亡くなりになる方々もいらっしゃいます。
今回はそのことについて投稿したいと思います。

個人的な思い出で大変恐縮なのですが、私が中学生の時、
叔父が病院で亡くなくなりました。葬儀社の方がご遺体を
お引取りに来られた際、病院の薄暗い裏口から出て行かれました。
幼い記憶ながら非常に寂しく、そして「人は亡くなったら
このような扱いを受けるのか」という思いが後々まで残りました。

私たちの法人では入所・入院された方に「お迎え」が来られた時には
明るい正面玄関から出て行かれます。
そして職員が「お見送り」をさせて頂きます。
正面玄関から入ってこられた方は正面玄関から出て行かれるのが
普通に考えれば当たり前のことではないでしょうか。

今の日本の精神構造は、戦後から近代化を急ぐあまり、
大切なことを考えることを忘れてしまった気が致します。
「死」というものを忌み嫌う風潮も今一度考え直す必要が
あるのではないでしょうか。盛夏の折に暑さでやられた、
法人一職員の独り言と受け取って頂ければ幸いです。

Photo_8

T.K

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コメント

正面から来たら正面から帰る。当たり前のことを当たり前といえるところが、素敵です。

「お迎え」と「お見送り」・・・・然り!!
これを読んで、先日、お通夜の法話(真宗大谷派の住職)を思い出しました。
「お通夜を終わり家に帰っても決して清めの塩をまかないでもらいたい・・・」という趣旨のものでした。
塩で清めると言うことは不浄なものを払うためのもので「死」を穢れたものとして扱うことになる。
昨日まで、親であり、親族、友人だった人が「死」の瞬間に穢れた物体となるという考えは間違っている。・・・・という話でした

遺体を穢れたものとする、江戸時代の支配階層は、それらの始末を、「えた、非人」・・・これも死語になりましたが・・・にさせ、住居まで制限し人を差別して人権を抑圧しました。
こんな間違った差別思想は、特に関西ではまだまだ残っています。
かもしか病院では、やがて人が迎えなければならない「死」を、身近なもの・今日の隣にあり、安心して迎えられるもの・・・・としてとらえられていることが良くわかりました。
「明るい正面玄関から、職員がお見送りをして・・・」
こんな考え方の先生や職員の皆様に、日々、囲まれて、人としての最期の時間を心穏やかに過ごせるお年寄りは幸せですし、こんな病院・施設が増えてくれたらいいなあ・・と、思わずにはいられません。

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