もっと読む
« 老健いっぷく 夕涼み会 | メイン | いっぷく食堂に燕三条エフエムがやってきた! »
雲が流れていくのではない流されているのは私自身なのだ
北澤幹男
このページのトラックバックURL:http://app.blog-niigata.net/t/trackback/184635/6516206
しただ散歩落書帳 その4 秋の雲にを参照しているブログ:
正岡子規に「夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く」がある。夏から秋への序曲を空の変化からみている。
空を見上げると、空が少しづつ高く感ずるようになり、もくもくと沸き上がる夏の雲の上には、砂をすっと、刷毛で掃いたような秋の雲が隠れるように見えること。普段、夏に見る雲は垂直に発達するのが特徴である。その代表的なくもは入道雲。
夏の次章、優しく澄んだ空の時期だ。
投稿: M.K | 2006年9月 5日 (火) 16:14
流れてみても、流されてみても、流れまいと踏ん張ってみても どれも大変なんだよね
流れる雲は二度と同じ形をつくらない 流れる日々は二度と同じ日は訪れない
大変で苦しい事が多い日々だから面白い人生がいい 一生青春、私も雲に教えられました。
投稿: ダイナマイト越後 | 2006年9月 8日 (金) 18:09
コメントは記事の投稿者が承認するまで表示されません。
名前: (必須)
メールアドレス: (必須 / 公開されません)
URL:
この情報を登録する
コメント:
正岡子規に「夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く」がある。夏から秋への序曲を空の変化からみている。
空を見上げると、空が少しづつ高く感ずるようになり、もくもくと沸き上がる夏の雲の上には、砂をすっと、刷毛で掃いたような秋の雲が隠れるように見えること。普段、夏に見る雲は垂直に発達するのが特徴である。その代表的なくもは入道雲。
夏の次章、優しく澄んだ空の時期だ。
投稿: M.K | 2006年9月 5日 (火) 16:14
流れてみても、流されてみても、流れまいと踏ん張ってみても
どれも大変なんだよね
流れる雲は二度と同じ形をつくらない
流れる日々は二度と同じ日は訪れない
大変で苦しい事が多い日々だから面白い人生がいい
一生青春、私も雲に教えられました。
投稿: ダイナマイト越後 | 2006年9月 8日 (金) 18:09